自分の「やらないことリスト」について、考えたことはありますか?
私:おはぎが、「やらないことリスト」を初めて密かに自分のノートに綴ったのは、5、6年前のこと。
当時図書館で借りた本のなかの1冊に「やらないことリストを書くススメ」というような項目があったのです。
以降私の密かな「やらないことリスト」は年々自分の中でアップデートされていましたが、ついに今日こうして日の目を見ることとなったのです(大げさ)!
▼こちらは「しないことリスト」に関する有名な本です。
タップできる目次
しないことを決める意義
しないことを決める意義は、大きく分けて2点あります。
- 本当にやりたいことを実現するため
- 日々を出来る限り自分らしく、健康的に過ごすため
ひとつずつ簡単に、説明します。
1、本当にやりたいことを実現するため
1日は24時間。そこから睡眠時間やお風呂、食事の時間など生活に必要不可欠な行動に割く時間をひけば、10時間強くらいしかありません。
人間は(私も含め)、意識しなければどうしても楽なほうに転がってしまう生き物です。
「しないこと」を決めておかなければ、必要以上に人間関係に悩んだり何となくTVやスマホを眺めたりと日々を漫然と過ごすことになり、自分が本当にやりたいことも実現しにくくなります。
▼「やらないことリスト」にあわせて、「やりたいことリスト」を書いておくのもおすすめです!
2、日々を出来る限り自分らしく、健康的に過ごすため
しないことをあらかじめ決めておくと、その決意は「世の中がどうであれ、自分のために、これだけはやめておこう」という強い鎧となり、過度な刺激やノイズから自分を守ってくれます。
その結果、今より自分らしさに満ちた健康的な生活を送れるようになります。
おはぎ
【具体例】ミニマリストの私のやらないことリスト5
ミニマリストの私のやらないことリスト5つ。私にとってはどれも重要な「しないこと」です!
1、睡眠時間を削らない
睡眠時間の重要度は、私のなかで日に日に増してきています!
1日に必要な睡眠時間には個人差があり、次の3種類に分類されるというのは有名です。
- ミドルスリーパー(1日に7〜8時間の睡眠時間を必要とする人。80%程度の人はここに分類)
- ショートスリーパー(6時間以下の睡眠時間で足りる人。全体の10%程度)
- ロングスリーパー(9時間以上の睡眠を必要とする人。全体の10%程度)
私はミドルスリーパーのようなので、なるべく夜22時〜朝5時頃の最低7時間は、睡眠に充てるようにしています。
もちろん人生には育児中だったり闘病中だったりで、思うように睡眠がとれない時期もありますが。
何か他にやりたいことがあったとしても、睡眠時間はなるべく死守しよう!削らないぞ!といつも思っています。
2、人と自分を比べない(夫、子どもに関しても)
10〜20代の頃は人と自分を比べることが多かった私ですが、30代に入った頃から「他人のことは良く見えるもの」「どんな人にも内に秘めた悩みやコンプレックスがあるものだ」と気付くようになりました。
そのうちに「(実際はそうではないのに、最高の状態に見える)他者と(最低ラインを知っている)自分のことを比べるのって、なんてナンセンスだろう!」と、自然と比べないようになりました。
そもそも当たり前の話ですが、基本的な能力も考え方も置かれた状況もまったく異なる他者と自分を比べてもねぇ、と。
また「自分の夫や子どもを、他の家庭のそれと比べない」というのも習慣化。
その代わりに(?)私は、常に「ちょっと前までの自分(や夫、子ども)と比べる」ようにしています。
そうするといつも「ここが良くなった」「出来るようになった!」と何かしらの前向きな発見があるのです。
3、早足にならない、早口にならない
2021年春に、3年の海外生活を終えて日本に帰ってきてまず感じたことは、「日本はみんな早足だ」ということでした。
歩道を歩く人だけでなく、自転車に乗る人も、スーパーで買い物をする人も店員さんも、皆少し速くて忙しそうに見える!
コテコテの日本人の私が言うと「海外かぶれ!」と思われるかもしれませんが。
とにかく私は個人的に、当時感じたことを今も気をつけていて、「早足にならないように。ついでに早口にも気をつけよう。ゆったりした気持ちで日々を過ごそう!」と思っています。
というのも、私は元々すごくせっかちな性格!昔は今より早足で早口で…でもそうやって過ごしても良いこと無かったんですよね。
早足や早口って相手にもせわしない印象を与えるし、自律神経の乱れとかにもつながるというし、百害あって一利なし。
気をつけなければ元々の癖ですぐ早足・早口になってしまう私の、「しないことリスト」のひとつなのです。
4、両極端に考えない
去年の誕生日にかかげた「今年の抱負」のうちの1つが、「心地よい中庸(ちゅうよう)を目指す」でした。
「中庸(ちゅうよう)」というのは、「どちらにも片寄りすぎず、調和がとれていること」。
転じて、「両極端な考え方をやめて、いい加減に、程よい考え方でいる」という意味合いです。
私はいつもこういうのって素敵だなぁと思っていて、ただ現時点で自分が実行できているかといえばきっとまだまだなので、日々気をつけているところです。
具体的には、「『〜しなきゃ』と考えない」「人の悪いところばかりに目を向けない」とかに繋がってくるのかなぁと。
5、(「共感」はするけれど)「同感」はしない
「共感」と「同感」の違いについては、調べると色々と出てくるのですが、私は次のように理解しています。
- 共感とは…相手の気持ちを理解しようと努め、喜怒哀楽を共有すること(あくまでも自分は特定の意見や主張は持たない)
- 同感とは…相手の気持ちに対して、具体的に「私もそう思う」と、気持ちを重ねること(特定の意見や主張に賛成しようとする)
例えばTVのニュースやネットの記事などから、理不尽な事件や事故、戦争や紛争に巻き込まれて命を落とされたかたや、今も心身の苦しみのさなかにいるかたの存在を知るようなとき。
もっと日常に近い事柄で言えば、友人や知り合いから、生活における相談事や愚痴を聞くようなとき。
他者の苦しい体験や思いが、気づけば自分自身の心の中心にまで迫ってきて苦しくなってしまう。
そういった経験が、きっと誰しもありますよね。
私自身、日々の中でそういった「二次的な苦しみ」を経験することがあります。
だからこそ私は出来る限り、(「共感」はするけれど)「同感」はしないようにしよう、と思っています。
他者の気持ちは理解したい。出来る範囲で手助けもしていく。それは大前提としても、それでもまずは自分自身や身近にいる人が心地よく暮らせるよう生活を回すこと。
それは利己的でもなく、罪悪感を感じるべきことでもないはずです。
このあたりは大変言葉に迷う部分ではありますが、「自分が元気なうちは、世の中の明るい面にもしっかり目を向けていないと、笑えるときに笑っていないと。」とは思っているのです。
終わりに(ミニマリストの私からの、やらないことリストを書くススメ)
ここに書いた私の「やらないこと」の中には、「しないように、すでに習慣づけられているもの」から「気を抜いたらついついしてしまうけれど、しないように気をつけたいこと」まで色々あります。
私自身、時々ネット上で他のかたの「やらないことリスト」を読むことがありまして。
そうすると、自分の思いもよらぬような項目が入ってきていたりして、「めちゃくちゃ面白い!」と思います。
私のこの「やらないことリスト」も、読んで下さったかたの何かの参考になればとっても幸いです。
「やらないことリスト」は、一見すると「怠け者が書くようなリスト」のように思えるかもしれませんが、実際はそうではありません!
むしろ「やらないことリスト」は、生活の中で個々人が自分の持てる活力を最大限に発揮するためのリストであり、身の回りの社会をちょっと良くする(かもしれない)リストでもあるのです。
おはぎ
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