私の思い出の場所「ロシア」という国と、ウクライナ侵攻の話。

突然ですが、みなさんには、思い出すと心の奥がぎゅっとなるような、そんな思い出の場所がありますか?

私にはあります。

大学生時代にたくさんの時間を過ごした、ロシアです。

 

【注意書き】私がロシアに関わっていたのはもう10年ほど前のことになるので、今の私はロシアについて深く語る資格はないのかもしれません。

 

また、今月(2022年2月)24日から開始されたロシアのウクライナ侵攻で、ウクライナに暮らす多くの罪なき人々の命や心身の健康が奪われている今、ブログで両国のことについて触れること自体が大変にためらわれました。

 

それでも10年前、一般の日本人のかたよりはたくさんロシアを見てきた私だからこそ…。

 

当時ロシアやウクライナで撮影した写真を交えながら、私の視点から何か書けることがあるかもしれないと思い、今回勇気を出し記事を書くことにしました。

私とロシアのこと

私は2008年から大学(外国語大学でした)で5年間、ロシア語を専門に学んでいました。

うち1年弱は、ロシアの極東の街:ウラジオストクや、首都:モスクワに留学をしていました。

2011年、モスクワの赤の広場。

特に2011年に、8ヶ月留学していたウラジオストクでの思い出は、とても印象深いです。

ウラジオストクで暮らした寮の部屋。

 

4月でも雪が積もることも。

 

楽器を演奏する、ウラジオストクの若者たち

 

市民が憩いに集う海岸通り。ウラジオストクは観光名所は多くはありませんが、ゆったりとした雰囲気の街でした

 

広場へとつながる、ウラジオストク随一の目抜き通り

 

ロシア語の音の美しさに魅了され、その言語の独特の複雑さにものめり込み、

また一見クールに見えるロシア人のハートの温かさにもたくさん救われた私の大学生時代。大切な思い出で満ちています。

ウラジオストクの小学校で、1日だけ特別教師になり日本語を教えたときの写真。日本語や日本食は、当時からロシアでとても人気がありました

真面目で美しいロシア人の友人たち。また会いたいな

ロシア軍には、一刻も早い撤退を。ウクライナやロシアの一般の人々に平穏な日々を

そんな私の思い出の国ロシアが今、決して許されない形で、ウクライナで勢力を強めています。

ロシア人の友人たちが「私はロシア人として、ロシアのリーダーが今おこなっていることを大変”shameful”(恥ずかしい)と感じる」などとSNSに書き込みしているのを見ました。

ウクライナに残された日本人のかたがたの悲痛な声もたくさん読みました。

私はたまらなくなり、SNSの画面を閉じてしまいます。

2012年夏、旅行で行ったウクライナのオデッサにて

 

オデッサの海岸

 

ウクライナの首都キエフでは、蚤の市が開かれていて賑やかでした

 

キエフの美しい教会

先日テレビで、ロシア政治に詳しい政治学者の中村逸郎さんが「ロシア人もウクライナ人も、一般の人々は善い人ばかりなんです。ただ今のロシアのリーダーだけが…」というようなことをおっしゃられていましたが、

心の底から同意したいです。

ロシア軍には一刻も早い撤退を、そして何の罪もなきウクライナや近隣諸国、ロシアの一般の人々に平穏な日々が戻ることを、心から願っています。

あとがき

この記事を書いた数日後の気持ちを「あとがき」として残しておきます。

 

毎日ロシア軍がウクライナ各地にミサイルを撃ち込み続け、多くの尊い命を奪われているという現実があるなかで、

私が▲このような記事を書いたことは果たして適切だったのか?と自問自答する日々です。

 

記事にも書きました通り、まず第一に一刻も早く侵攻が終わり、ウクライナに残された人々の尊い命が生き残ること、

そして第二に周辺諸国やロシアの「一般」の人々に平穏な日々が戻ることを、心から願っています。

 

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