今日(2021年4月)、出先でマクドに寄ってお昼を食べてきた時の出来事です。
レジの注文の列が5人ほどいて、かつレジも1つしか稼働していなかったので、「待ち時間かかるかな?」と思いながらも、特に急いでいなかったので並んで待っていました。
そしたら、もう本当にあっという間に私の順番が来まして。
レジの店員さんが言いました。
「大変お待たせして、申し訳ございません!」
「全然、待ってなんかいません」
私はてりやきバーガーセットを注文し、「お食事できましたら、お席までお持ちします」とのことで番号札をもらってから、テーブル席に座りました。
私がふふふんとスマホでTwitterを見始めた(←)、そのとき。
急ぎ足のサンダルの音がバタバタと聞こえてきて、
「お客様、大変お待たせして、申し訳ございません!」
と、また、さも申し訳無さそうに、店員さんが私のセットを持ってきてくださったのです。
…
…
私は、こう言いたいのです。
というか1ヶ月前に日本に帰ってきてから、度々似たような場面があって、ずっと言いたくて、うずうずしていました。
「私は、全然待ってなんかいません」
と。
ここまで、私のマクドでのシーンを振り返るに、
列に並んでから注文の順番が来るまでも、そのあとバーガーセットを席に持って来ていただくまでも、
すべて私の想定の1/2(ニブンノイチ)以内のペースで事は運ばれているのです。
こちとら心のなかで、そのスピーディーな仕事さばきに密かに拍手を送っているくらいなのです。
日本のサービスは世界一流。しかしその裏には、消費者の厳しい目が存在する
私が最近まで3年間暮らしていたシンガポールでは、何かと待つことが多かったです。
シンガポールに渡ってすぐの頃、お店のレジの行列に並んだとき(たしか「プラザシンガプーラ」のMUJIでした)。
レジで業務についている店員さんたちが、とにかくゆったりしていて(多少手が空いている店員さんがいたとしても、日本のように「こちらの別のレジにどうぞ!」の案内はほぼない)、
おはぎ
お客さんが待っていても、何も思わないのかね
とちょっと憤慨していたことを、いま思い出しました。
その一方で行列に並ぶお客さん側は、皆のんびりした様子でスマホを触ったりお喋りしたりしていて、誰も気にも留めていないようでした。
お店のレジの行列、
到着予定時刻を大幅に遅れたご飯のデリバリー、
予約してから行っても1時間以上待ったりしていた病院の待ち時間。
海外では日常的なこれらのことを日々経験するうちに、私は少しずつ、「待つ」ことに慣れていき、おおらかな時間感覚のなかで生きるようになっていました。
生活の中ではもちろん急いでいるときもありましたが、そういうときは混んでいる場所には寄らず、「また今度でいいや。」と考えるようになりました。
まさに「非の打ち所がない」、日本のサービスはなぜ世界一流なのか
こちらの記事に、深く共感しました。
「日本のサービスは世界一流」で、それは誇れることですが、その背景には「消費者の厳しい目」があります。
私もたまたま海外に住む機会があり、考え方が少し変わるようになった人間なので、偉そうなことは言えませんが。
質の高いお仕事をしていてもなおへりくだっているような店員さんには、
「ありがとう」「全然、大丈夫ですよ」と、ゆったりした気持ちで声がけしたいと思った、そんな今日の出来事でした。
きょうも最後までお読みくださり、ありがとうございます!
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